| Memo/2025_12_20_典礼カウンティにならなかったハンティンドンシャー | |
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大盛マスクのメモ イングランド/イーストアングリア イングランド/南部 |
ハンティンドンシャーは、イングランドの歴史的カウンティの一覧にはあるものの、現在の典礼カウンティにはない。現在は、典礼カウンティとしてはケンブリッジシャーの一部であり、同時に行政カウンティのケンブリッジシャーの下の一つのディストリクト(地区)となっている。
典礼カウンティと歴史的カウンティの境界線の不一致はしばしばあるものの、典礼カウンティになれなかった歴史的カウンティは珍しい。このため、ハンティンドンシャーがなぜ典礼カウンティにならなかったかが疑問として浮上する。
ハンティンドンシャーは1965年にピーターバラにあったソークという特殊な階級の行政区と合併し、1974年にケンブリッジシャー&イーリー島と合併し、新設ケンブリッジシャーの一部となった。イングランドの行政区画の仕組みは非常に複雑だが、カウンティ級の行政区画の下にディストリクト級の行政区画があるという基本構成がある一方、カウンティ級とその下のディストリクト級を兼ねる単一自治体がある。このとき、典礼カウンティはカウンティ級もしくは単一自治体が1つ以上から成り立っており、ディストリクト級が典礼カウンティになっている例はない。このため、現在ディストリクト級の行政区画であるハンティンドンシャーは典礼カウンティにそぐわないというのは理解できる。しかしながら、ケンブリッジシャーから離脱して単一自治体やディストリクトを持たないカウンティになるという方法も取れる。実際、もっと小さなラトランドは行政カウンティかつ典礼カウンティである。
実際のところ、ラトランドがカウンティ級に戻った1990年代には、ハンティンドンシャーも単一自治体にすることが検討されている[1]。しかしながら、ラトランド等と異なり、独立したアイデンティティはそれほど強くないと結論付けられ、復活案はお流れになっている。このことから、住民が独立のカウンティとなることを望まなかったからという結論になる。まあもっとも、この話、英語版Wikipediaに載ってる話で、それ以上は元ネタを追いきれないので、話半分にするしかない。
以上から、典礼カウンティとしてのハンティンドンシャーが存在しないのは、ケンブリッジシャーの一部であるという意識が住民に強いためと結論付けられる……と思う。